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ミニマリスト見習いの、よくばりジャーナル

人と違うことをしよう

こんにちは、涙です。

人と違うことをすることで差別化を図ったりすることがありますが
闇雲に「人と違えばいい」というわけではありませんよね。
好かれる違いでなくてはいけません。
時には驚かれることも必要かもしれませんが、その場合でも好かれるというのは大事だと思います。

私が通う小学校では、各学年ごとにテーマを決めて、年に一度、市の絵画コンクールに出していました。
6年生の頃のテーマは「宇宙」
みんなロケットや銀河、惑星の絵をきれいに描いていましたが
私は自分がたくさんの宇宙人と友達になっている絵を描きました。
なんとなく「宇宙って聞いて、惑星やロケットの絵というのは、自分もきれいに描けるけどもありきたりだ。なんか描きたくない」と思っていて、「何なら描きたいか?宇宙に関するどんな絵なら自分はわくわくして描けるか?」と考えて、閃いたのが宇宙人と友達になる絵だったんです。

宇宙人とはいっても、よくあるようなエイリアンやタコ様の生物ではつまらない。私はそんなものを描きたいわけではない。
ということで私が描いた宇宙人は完全書き下ろしのオリジナルデザインでした。
(虫っぽかったりメカっぽかったりはしましたが…)

自分は天才かと思いました。他に宇宙人を描いた児童はいませんでした。みんな宇宙人描きたくないの?でも私は自分以外にそんな絵を描く児童がいないのをなんとなくわかっていました。そして先生は私の絵を見て「おおっ」と思うことも。
素朴な絵だったのですが、学年代表に選ばれて賞状ももらいました。

しかし私のへんてこな宇宙人の絵は児童の中での評判は良くなく、私が学年代表になったという校内放送が流れたとき、「なんであんな絵が選ばれるんだよ!!」と言うクラスの男子もいました。

みんなと同じことをしない私は、悪い児童だったでしょうか?
そうは思いません。
先生と私が芸術に求めているものが「子どもならではの素朴さとわくわく感」であり、多くの児童が目指したものは「なるべく綺麗で美しい絵を描くこと」であり、そこでミスマッチが起きていたという、それだけのことです。

例えば、私が「みんなと同じじゃつまらない」と言って、まったく宇宙に関係のない絵を描いたりしていたら、問題になっていたでしょう。
みんなと違えば良いというわけではありません。
好まれる範囲でのキテレツさが光るのです。

ただ、みんなと同じことをするように心がけて生きてきた人が、奇想天外なことをしようとすると、大体方向性を読み誤ります。
たまに方向性を読み誤っても「理解できないほど素晴らしい」と賞賛されたりするのですが、それはその奇想天外さを見てなにか新しい感情が自分の中に芽生えた観衆がいた場合です。
多くの場合で「突然で不可解な大暴走」と思われるのではないでしょうか。

もし、平々凡々を心がけてきた人が「ちょっと変わってて面白い人」になりたいのなら、小さな変化をつけていくのがいいと思います。
大きな変化を数こなして「これはウケた。なぜか?」「あれはウケなかった。どうして?」と考察を重ねることで、ウケるキテレツの精度を上げていく北朝鮮ミサイルみたいなスタイルもアリですが、周辺諸国もとい周りの人々からの信頼を失ったりとリスクも低くありません。地雷ちゃん扱いを受けそうです。

周りが何を求めているのかを見るのもいいでしょうけれども、極めようとするとかなり難しいです。
「周りが求めているもの」はわかりやすいものもありますが、当然わかりにくいものもあるでしょう。
わかりにくいものをわかるようになるのは、時代の流れに乗る層ではなくむしろ流れを作り出す層になるレベルで難しいので、見る目を養い、雰囲気を感じ取り、センスを磨かなくてはいけません。
平々凡々を是とした人にとっては結構なレベルアップというか、むしろゲームで言うと転生が必要なくらいではないかと思います。

そして大事なのは「自分はこうありたい」っていうイメージをしっかり持つことですね。
ウケることに対して気持ちよくなってしまって、ウケることが目的になってしまい、軸がブレると「結局、なにがしたいのかよくわからない」と思われてだんだんウケなくなります。でもウケたくて迷走してどんどん人がいなくなりそうです。
すごく安いんだけど何屋なのかわからない楽天市場のショップみたいな感じです。
安かったから一回利用したけど、その後に来るショップからの広告は何の脈絡もなく、もちろん自分には必要もないものばかりが載っている。今後も多分使わないだろう。みたいな感じです。
ウケることよりも自己実現が大事、は大原則ですね!

「自分が好きなこと」とかは一見ブレているように思えますが、人から見たら十分面白いくらいには筋が通ってたりしますから、基本は好みを通すんでいいと思います。

みたいなことを考えました!

逆算してみるということ

こんにちは、涙です。

最近、恋人と長く付き合って結婚適齢期だけど別れた知人の話を聞いたので、少し考えたことを書きます。

結婚の話は何年も前から出ていたもののなかなか踏み切れず
結局ふとしたきっかけで「そこまで相手と結婚したいわけではない」という自分の気持ちに気づいてしまい、ダメになったそうです。

結婚の話は出てるけど相手がなかなか煮え切らないっていう話はよく聞きますよね。
結婚適齢期のカップルの悩みの中では少なくないのではないかと思います。

でも話を聞いていて、世の中のカップルの煮え切らない人の一部は「その人とはそこまで結婚したいわけではない」ということなんだろうなと思いました。

ただ一部と書きましたように全員が全員そういうわけではありません。

「ライフプランの作りが曖昧」という可能性も大いに考えられます。
この可能性は女性と比べて子どもを持てる年齢に幅がある(と思い込まれていることの多い)男性において高めですが、「今は仕事が楽しいから結婚のことは考えない」ことにしている女性も当てはまります。

結婚願望がある、ないに関わらず一度はした方がいいかなと思うのが、
人気ブロガーのトイアンナさんが逆プロポーズの際に使った手法ですが、
とにかく逆算です。

子どもを産むプランを入れる都合上、異性愛のケースで考えさせていただきます。
養子を迎える同性愛カップルの場合は、何歳の養子をいつ迎えるか等で計算するといいと思います。
子どもを持たない場合は同居、入籍、結婚式の中でしたいものを選んで、したい順番を決めて、何歳で「終えたいか」を考えるといいと思います。

何歳のときに子どもがひとり立ちし終わるのが理想か。
子どもは何歳差で何人ほしいか。
その計算では、初子は何歳で産まれるか。(男性の場合、そのとき妻は何歳か。35を超えるようだと数年早めてもいいかもしれません。妻に出産年齢の希望がある場合は、それを叶える形で早めましょう)
そして大体一年前に妊娠するとします。
妊活期間を一年ほどとします。
妊活期間以外に二人だけで生活したい期間を考えます。
同居開始すべき時期がわかります。

※結婚式をする場合はいつしたいか考えます。半年〜一年ほど準備に時間がかかります。
※入籍をする場合はどのタイミングでしたいか考えます。

いつ何から始めるべきかわかります。

すると大体二十代後半あたりの人は「そんなに時間がない」と思う人も結構いるでしょう。
もし不妊で治療をすることを考慮しておきたければ、保険として数年は早めにしておいたほうがいいでしょう。
不妊の定義が「一年以上自然妊娠が起こらない状態」ですので、妊活期間を一年とさせていただきましたが、もちろん健康状態によってはかなり早まる可能性もございます。

そいで「いつ結婚するの?」って聞かれたら大体答えは上に出てますから、
自分の現在の年齢と照らし合わせて判断すればいいと思います。

相手がいない場合は、さらに「結婚までにどのくらい交際期間を取りたいか」「交際までにどのくらい友達期間を取りたいか」「新たに出会いたい場合、活動期間はどのくらいか」を簡単に決めてみたらいいと思います。

あくまで、今まで漠然としか自分のライフプランを考えていなかった人が現在の年齢とのバランスを客観的に見るための手法なので、もちろんその通りになることの方が少ないでしょうし、私は責任を持ちませんのでご了承ください。

カップルの場合はお互いに書いたあと照らし合わせて調整をするといいと思います。
相手が煮え切らず「30になったら考えるヨ」とか言ってる人の場合は、とりあえず書かせてみるといいと思います。
「なんだかんだで40くらいになっても今は妊娠できるんでしょ」と思っている人は、男女問わず、不妊治療関係の本を2冊以上読みましょう。
もちろんそこまでは思っていない人も、男女問わず不妊治療の本を読むのはオススメです。
現代の人々のライフスタイルは関係なく、身体のコンディション的に一番ベストな出産年齢は確か23〜25歳くらいだったと思います。
もちろんその年齢で出産しなくてはいけないわけではありません。その前でも後でももちろん出産はできる人はできますし、できないひとはできません。しかし知識として知っておいてもいいでしょう。

もちろん逆算法を相手が書いてくれない場合や、アクションを起こすべき年齢に現在近いとわかったにも関わらず何もしない場合も、相手は自分との結婚を真剣に考えてくれていないという事実をこちらは受け入れなくてはいけません。
その覚悟がない人はこの逆算法はしないで、期待を胸にずっと待ってた方がいいですね。

っていう逆算がとても面白いなと思ったので書いてみました。
みなさん一度はお試しあれ!?

「かわいい!」と「ほしい!」の違い

こんにちは、涙です。

ミニマリストを志向するようになってからわかったのが、タイトルの通り「かわいい!」と「ほしい!」の違いです。

断捨離やミニマリスト志向を始める前は、「かわいい!」と「ほしい!」はつながっていて、
「かわいい!」と思うモノに出会ったとき、お金があれば買う、という感じでした。

断捨離やミニマリスト志向を始めてからは、「かわいい!」と「ほしい!」の気持ちが分かれました。
「このモノはとってもかわいいけれど、私は所持しなくてもいいな」と思うようになったのです。

「かわいい!」以外の感想もそうですね。
「かっこいい!」「便利!」「あの人がオススメしている!」「ブランドもの!」
世の中にはいろいろな「良いモノ」があり、それについてたくさんのポジティブな感想を私たちは持ちます。
でも、それらの感想と「ほしい!」は、分けても大丈夫なんだなって、実感しました。

「かわいい!」と思うモノの中には、かわいいけど、必要ではないものがたくさんあります。
便利なものもそう、かっこいいものもそう、誰かがオススメしているからといって、私にも必要とは限らない。
ポジティブな感想は心に潤いをもたらします。
でもすべてを手に入れようとすると、手に入れるためのお金や管理にかかる労力がたくさんかかります。

ときめきだけではモノを買ってはいけない、というつもりはありません。
私は「三回ときめきルール」を作っています。
「良いな」と思うモノがあっても買いません。
そのあと、三回「やっぱりほしいな」と思うことがあったら、買うというものです。
過半数のものは、そのあと思い出しもしません。
思い出すのは、よほど印象に残ったもの。

今の私は一般人かミニマリストかよくわかりませんが、
断捨離の記事を読むと「これはもう済んでいるな」と思うことが多いのです。
かといってミニマリストかというとそうでもないと思います。
便利だなと思うモノは手放していません。なにより部屋がすっきりはしていません。

ミニマリストの方々は、よく持ち物を紹介します。
それを見ると、「私も持ったほうがいいのかもしれない」と思うことがあります。
例えば、少し前によく見かけたのは「珪藻土のバスマット」です。
石の板みたいなバスマットなのですが、よく水を吸う上に、すぐに乾いていいらしいのです。
実物をお店で見たこともありましたが、結構重かったです。
「私はいいかな」と思いました。

今はバスマットを持っていません。
2日ほど使ったバスタオルを敷いています。
そして2日ほどバスマットとして使ったら、コロコロクリーナーで表面の髪の毛などのゴミを取り除いて、洗濯機にかけます。
洗濯→バスタオル→バスマット→洗濯…
で、バスタオル3枚で回しています。
もう板についているし、定期的に選択しているので清潔なのですが、たまに「私、ミニマリストっぽいことしてるぞ!」と思います。
でもね、ミニマリストっぽいことも、慣れると、毎日の習慣で、当たり前になるんですよね。何も思わない。

例えば冬のコーディネートも3~4パターンのコーディネートの着まわしです。
そのうち、スカートやズボン、セーターがかぶっているコーディネートがあるので、実質毎日似たような服を着ていることになります。
でも慣れたしなんにも思わなくなりましたw
好きなワンピースをたくさん着られて嬉しいので、いっそこれからは手持ちの服をほとんど好きなワンピースにしていこうと思います。

一般人やマキシマリストとは感覚が違いますが、極端なミニマリストでもない。
ゆるミニマリストとかミニマリスト見習いと自称していますが、やっぱりそんな感じ。
これからもゆるくやります!

転職します

こんにちは、涙です。

今年は転職することにしました!
そして一人暮らしをやめて、実家に戻ります。
貯金します!

一人暮らしだと、思ったよりも貯まりませんでした。
しかも今年は海外旅行と部屋の更新が待っています。
貯金額的にはどちらもパスできるのですが、
部屋の更新はパスしなくてもいいんじゃない?と思いました。
会社、居住地含め、更新料を払ってまで居続けたい環境か?と考えたとき、どうしても「違うな」と思ったのです。
まあ部屋を引き払って実家に帰るのには、更新料を同じくらいかそれ以上のお金と、更新料を払う以上の手間がかかりますが、そのあとの貯金のしやすさを考えると、実家に帰った方が賢明であると判断しました。

職場の同い年の人に「好きな番組のDVDボックスを買おうと思ったけど止めたんだよね」と言ったら
「社会人の財力にモノを言わせて、買っちゃえばいいじゃない」と言われました。
彼女は実家から通勤しています。
ああ、お給料が少ない職種でも、やっぱり実家と一人暮らしだと全然違うんだなと感じて、印象に残っています。

貯金額を見るたびに落ち込んで、
定期券買うたびに倹約して、
定期的に「このままでいいんだろうか」と不安感に襲われるので、
それを何とかしたかったのです。


退職の意向を会社に伝えた数日後、上司と面談をしました。
結構引き止められましたww
いや、言葉としては「強く引き留めるつもりはない」とは言っていたのですが、
そうは言いながらも「実家に帰ってから結婚するまで、何年も期間があるわけじゃないなら(1年前後を想定)、そこで貯められる金額は人生にそこまで影響を与えないと思うから(100万前後を想定)、今の家に住み続けてうちの会社で働き続ける方が賢明なのでは」「実家からでも今の店舗なら通えるのでは」「今の店舗に不満があるなら(暇すぎる&店長のパーソナリティに問題あり)、他のエリアへの異動も全然OKですよ」「せっかく仕事ができる子なので、会社としても残ってもらえると嬉しい」といろいろアドバイスをされ、
「この話を踏まえてもう少し考え直してみて」ということで面談は終わりました。

面談を終えての感想は、「引き止めてもらえて嬉しい」というよりも、「上司・・・やるな。手ごわい」でした。話の仕方がうまかった。これで丸め込まれる人も少なくないだろうなと思いました。

「この会社のここが決定的に嫌で、我慢ならないので辞める!!」ってわけではないので、どちらかというと「でもでもだって」でゴネまくって辞める感じになってしまうのは否めないのですが
・今の家に住み続けたくない:二年連続でネズミ発生、日当たり最悪、隣人が怖い
・この会社にも勤め続けたいわけではない:給料上がらない、残業30分刻み、社長の口癖「お金がない」、これからさらにブラック化する可能性高い、働き方の幅が狭い

上司の主張に「でもでもだって」するならば、
「実家で結婚するまでに貯められる金額はそこまで人生に影響しない」→そもそも100万も貯めたことがないので、本当に影響しないのか確かめてみたい。私の推測では、経済的に余裕が出ることで今よりも精神的にも余裕ができると思う。それは十分大きな人生への影響だと思う。
「今の家に住み続けてうちの会社で働き続ける方が賢明では」→今の家に住み続けたくないので拒否
「実家からでも今の店舗なら通えるのでは」→店長がいやなので拒否
「他のエリアへの異動もOK」→入社初期に実家からそのエリアに通って体を壊したので拒否
という感じです。

この面談によって私が退職を思い直せば、(従来の給与以外の)お金を一銭も払わずにオーバースペックの医療事務を使い続けられるので、会社にしては儲けもんですよね。すごく斜に構えた見方ですけどね。

なのでセキュリティ万全の安心して暮らせる環境に移って、新しいことに挑戦したい!と今思っています。(ちょっと求人サイト見てテンション上がっているのもあります)

この上司との面談のあとに店長とも話したのですが、「今の家が嫌なら引っ越すのはどう!?」と勝手に舞い上がり始めてしまい、その場でパソコンで賃貸情報サイトをあさり始めてしまったので、興ざめしました。
貯金できなくて悩んでるのに、引っ越すわけないじゃん?あほじゃないの?人の話聞いてる?自分にとって楽しいことしか考えてないよね???
とまあいろいろ愚痴は出てきてしまうのですが、そんな感じの人で、しかも今の店舗のスタッフは私とその人の二人なので、結構嫌です。これが上司の「今の店舗が嫌なら異動させてあげますよ」発言のモトです。

去年も「今のアパートにネズミが出て・・・」と愚痴をこぼしたら「今の家が嫌なら引っ越すのはどう!?」と勝手に舞い上がってしまい、その場でパソコンで賃貸情報サイトをあさって「こことかいいんじゃない!!!!!」と言ってくれたのですが・・・
まあ薬剤師が事務の給料の感覚なんてわからないよね・・・って感じでした。
結構気分が乗ると暴走してアドバイスをくれます。
「うーん、もうちょっと考えますね^^」で乗り越えています。

挙句の果てには、「薬剤師はまだ売り手市場だから、どんどん転職成功していくけど、その様子をすぐそばで見てる医療事務って「私もきっと」って結構勘違いしちゃうんだよね。今のあなたに何ができるの?持ってる資格は?」と言い出して、「何様ですか?」ってちょっと思っちゃいました。
「実家に戻って生活基盤が安定するので、少し給料が下がってもいいかなとは考えていたのですが、気を付けますね^^資格とかも挑戦してみます^^」って答えておきました。

その後も会社全体の新年会があったりして、
いろんな顔なじみの人と会ったりして、
とっても楽しくて、辞めるんだと思うと寂しくなったりしたのですが・・・
でもやっぱり辞めるっていう決意は揺るがなくて、先日退職届を提出しました。

仲がいい人とはこれからも会おうと思えば会えますし、
社会人としての次のステップに進みます!!

今はリクナビネクストにとりあえず登録して、
明日エージェントの方と面談があるのですが、
転職エージェントって無料なんですね・・・
ってことはお金はどこからでてるの?って考えてしまうわけで、
そしたら「転職者を募集している企業だよね」と必然的になり。
そしたら「より金を積んでるブラックとかが仮に存在した場合、なんだかんだで丸め込まれながら入れられてしまうのでは!?」と心配になったりしましたが、
「あんまり合わない会社に無理やり入れても、転職者にも企業にもプラスにならないし、すぐ退職なった場合エージェントの評価が落ちて企業も転職者も集まらなくなってしまうので、求人の質はある程度良いですよ」という意見もネットにあり、「それもそうだな」と思ったので、様子見です。
いっそ有料のほうが安心できるような気がしました。

実際お給料が上がる(社会的ステータスが今よりも上がる?あまり興味ないけど)かはわからないです。
求人見てるとプライベートオファーが来ているほとんどの求人で今よりも年収が上がりますが
自分の市場価値がどのくらいなのかもわからないので、その点でエージェントさんにも聞けたらいいなと思います。
あまり勘違いちゃんにもなりたくないのですが、あまり卑下しすぎても良くない。
学歴はないわけではないのですが、資格はほとんどないので^^;

就職活動ではあまり自分を出せなかったなって心残りがあるので
転職活動ではもっと活き活きとできたらいいなと、とても思っています!


去年転職された職場の元先輩には、
「企業も、技術は後から学べるから、今いる人と合うかどうかを気にするから、会社の考え方とのマッチングを意識してみるといいと思う」と言ってもらえたので、気を付けながら頑張ります!
「そろそろ自分に求められる役回りとかわかってきたと思うので」って言われたけど、どうなんだろう・・・私の役回り。
ヘルプに行くと「涙さんが来たからもう大丈夫」みたいな救世主扱いを受けることがあるけど、自分では実力や問題解決能力は人並みに毛が生えた程度だと思う。穏やかで堂々としてるからかな?偉そうだったりして・・・
あとは「涙さんがいるから、私一日頑張れます!」って言ってもらえることもある・・・ムードメーカー?
かなり頼りがいがあるように見えてるんだろうなと思います。
退職まで今の仕事も頑張ります!

パートナーシップと性

こんにちは、涙です。

「結婚」とか「家庭を築く」と書くと、性別バイアスがよりかかってしまうと思うので、
比較的フラットな言葉で質問を投げかけます。

「人生をともに歩むパートナー、女性と男性どっちがいいですか?」

周りの目や世間体は気にしなくていいくらい、異性同性どちらを選ぶのも社会的に受容されていて、
養子をもらうのもちょう当たり前なレベルで
自分の意思以外なにも障害がないと仮定してです。

同性同士でも子どもが持てる科学技術が開発されてるとかまで仮定すると行き過ぎてる感じしますけども。
ちょっと生きてるうちに実現するかわかりませんからね。

「周りの目や世間体は気にしなくてもいいくらい社会的に受容されている」とか「養子をもらうのも社会的に当たり前になってる」とかだと、みんなの認識が変われば明日にでも実現可能ですので、あまりにも頭が固くなければ想像しやすいかと思います。

この質問は、たまにぼーっと考えるテーマなのです。
「同性の友達とパートナーシップを組んで、生活を支え合っていくのは不可能なんだろうか」「パートナーシップを組む制度が日本では法律婚しかなくて、それを多くの人が当たり前だと思っているけど、本当にそれでいいんだろうか」と。

単に同性婚と異性婚の是非という問題ではなくて、です。
性的指向と生活のパートナーシップの選択は切り離してもいい、正確に言えば「切り離して考えることも可能である」ことは良いんじゃなーい?と思います。

別にレズビアンというわけではなさそうなバリキャリ女性が、ネット上で「家事をこなしてくれる可愛い嫁がほしい」とこぼすのをたまに見ますが、
これは同性婚が現状あまり認められていない環境を逆手に取った皮肉でもあり、自分が男性並みに働いている中で見られる従来のジェンダー観との乖離を逆手に取った皮肉でもあり。
まあそこまで小難しいことをいちいち考えて発言しているわけではないにせよ、バリキャリ女性の「嫁がほしい」発言にクスッと来てしまうのは、皮肉とウィットに富んでいるからだと考えられます。おそらく本人も十分それを意識して発言されています。

ただ私はシンプルに思うのです。
「かわいい嫁もらっちゃえばいいんじゃな〜い?」と。

「専業主婦になって、外に勤めずに暮らしたい」と言っている女性が最近増えていると聞きます。
そのことの是非は今回は問いません。

「専業主婦になって、勤めずに暮らしたい」と言っている女性の条件に、「男性と結婚して」という文言は入っておりません。多分暗黙の了解で相手は男性を想定しているのかもしれないけど。
でも敢えて条件として入れていないのであれば、嫁ぎ先に女性を入れてみれば選択肢や可能性はグッと広まりますよ!
それでお互いに良好な関係が築けるならいいじゃないですか。

月経とか、性別ならではのトラブルに関する理解もばっちりですよ!

選択肢として「友達と生きていく」っていうのはアリだと思います。同性とってクローズアップして書いてしまったけど、異性でもいいと思います。
もちろん「二人だけ」にこだわる必要もないと思います。大黒柱の多いしっかりした生活もいいじゃない!
まあ全員の合意でなにかを決めるというのが、人数が多いほど難しくなりますが!

友達とパートナーシップ生きやすいようにちゃんと補助する制度も作って、社会的に認めてあげてね。
男性同士でも部屋借りやすいとか。

って考えるのです。

そんな今日この頃。

性的アクティブ度と性差

こんにちは、涙です。

今日は特にセクシャルな話題を取り上げるので、苦手な人は戻ってください。

テーマは記事タイトルの通り性的アクティブ度と性差。あと同性愛者差別について。

ぶっちゃけると「割合でいうとヤ○チンとヤリマ○はどっちが多いの?」ということです。
私自身、普段口に出して言う言葉じゃないのですが、ここではバシバシ言います。
あまり生々しい話はしませんが、もう一度言います。苦手な方は戻ってください。

ここでは「性的にアクティブ」、ヤリマ○、ヤリチ○をそれぞれ同様に「より多くの人と性的関係を結びたがる人」と定義します。
特定のパートナーに対してアクティブな人たちは対象外!お幸せに!

と言いますのも、
よく性的マイノリティ、特にゲイやバイセクシャルの人に対して、ストレートの男性が「自分も襲われそうで怖い」という感想を持つことがあると思います。
冗談混じりに「俺はやめてくれよ〜www」とか言っておいて連絡を断つとか割と聞く気がするんですがどうでしょう…

この現象が起こるのには

1.自分が○リチンのため、男は全員ヤリチ○であると考える傾向があり、自分が異性に対して性的にアクティブであるのと同じくらい、ゲイやバイセルシャルの人々も同性に対してそうであると考えてしまい、上記の感想をもつに至る。

2.自分はヤ○チンではないが、ゲイやバイセクシャルの人々はすべからく性的にアクティブであるとなんとなく思い込んでおり、上記の感想をもつに至る。

3.自分は無性愛者であり、同性愛者も異性愛者もみな自分にとっては十分性的にアクティブに見える。

のような可能性が考えられ、私が問題だなと思っているのが2です。

で、「性的にアクティブな人は女性より男性に多い」というのが統計で示されれば、2の人々を論破できるのではないかと考えているのです!(もう統計がとられているのかどうかは知らないです…とりにくそう)
論破のゴールは「別にゲイやバイセクシャルの人々のみんながみんな、性的にアクティブなわけじゃないよ」ということです。

私の仮説は上記の通り、というか上記にプラスアルファして「『性的指向にかかわらず、』性的にアクティブな人は女性より男性に多いだろう」です。
つまり「割合でいえば、ストレート、バイセクシャル、ゲイ、レズビアンに関わらずそれぞれ同じくらいヤリチ○の方が○リマンより多いと思う」です。
ヤリチ○よりヤリマ○の方が社会的に風当たりが強そうですし、逆に言えばヤリチ○の存在はある程度受容されていますので、数も多いのではないか?と、あとまあ性別特有の衝動の強さも考えて、そう思っているんです。(性衝動の強さは個人差や年齢差も大きいけど)
同様にそう思っている人は多そうだと思いますが、統計で示せない以上、あくまで仮定として話を進めます。(探すのが面倒という怠惰もあります)

性的にアクティブな男性の方が多く、性的指向に関わらないと考えると
女性に対してアクティブな男性と、男性に対してアクティブな男性の割合は変わらないことになります。
女性に対してアクティブじゃない男性と男性に対してアクティブじゃない男性の割合も変わりません。
性的にアクティブな男性の方が、割合として女性よりも多いと仮定しても、ヤリチ○と言われるほどブイブイ言わせる層はそこまでマジョリティではないんじゃないかと思います。
女性に対してのヤリチ○がマジョリティではないように、男性に対してのヤリチ○もマジョリティなわけではない。
仮説が正しければ、こう言えます。
「あなたが女性に対してアクティブじゃないのと同じように、好きにはなるけど別にアクティブじゃないゲイやバイセクシャルの人たちも多いよ」ということです。

これは実際にゲイの人に聞いたのですが、その人いわく「確かに長期的なパートナーシップに至ることは、ストレートよりは少ないかもしれない」とのことです。
でも短い付き合いをやたら繰り返す人もストレートにはたくさんいますし、
長期的なパートナーシップを築いている男性カップルもごく普通にいます。

長期的なパートナーシップの築きやすさを仮に女性1、男性0.5とすれば、(ほんとに例えです)
男性同士のカップルは0.5×0.5=0.25で、男女カップルの1×0.5=0.5よりも少ないから(数字は本当に適当です)
特別アクティブ(やたら数をこなしているように見える、みたいな風)に見えるかもしれないけど、
そして極端だと話題としてクローズアップされやすいけど、
でも一人ひとりの男性の長期的なパートナーシップへの至やすさは、別に性的指向に寄らないんじゃない?と考えています。

男性が好きか女性が好きかによって、「好き」という気持ちのあり方には、ストレート、バイセクシャル、ゲイの人たちそれぞれにあまり差はないんじゃないかなーと思います。
みんな一律に0.5で例えてしまって申し訳なかったですが、個人差ももちろんあります。長期的なパートナーシップに至りにくい女性ももちろんいるでしょう。

そして、必ずしも「長期的なパートナーシップに至る=優れている」と価値判断を私がしているわけではありません。(もちろん、一人の人と長期的に向き合うことで深まる人間性というのもあるとは思いますが、それぞれ幸せであれば最終的に良いと思います)
本当に男性の方が女性よりも全体的に長期的なパートナーシップに至りにくいのかもわかりません。もしも違うのであれば、ますます「ゲイやバイセクシャルの人はストレートの人よりもヤリチ○である」という考えがますます遠ざかるんじゃない?と思います。
ただ仮説が仮説を呼んでいる以上、論理的にツッコミどころの多い三段論法になりやすいので、この辺にしたい…な…

この記事のゴールは「いつか統計で性的アクティブ度と性差について仮説通りに示されたら(あるいは、すでに示されていたら)、失礼な先入観を改めてね!」ということです。
とかいって女性のほうが性的にアクティブだったらどうしよう…そのときは謝ります!
ほら!ね!仮定だからね!

っていうことをぼーっと考えるのです。
論理的におかしいところもあるかも。すみません。

そんな今日この頃。